「お祝いごとの赤と白のしま模様の幕」と「お葬式の黒と白のしま模様の幕」
「お祝いごとの赤と白のしま模様の幕」と「お葬式の黒と白のしま模様の幕」
「お祝いごとの赤と白のしま模様の幕」と「お葬式の黒と白のしま模様の幕」
縁起のいい色である赤色を使用した「紅白幕」はおめでたい時、死や不幸を想像させる黒白の「鯨幕」は弔事に使われる。

一色すればいいが、染色する手間を省くためにしま模様になった。

〇「紅白幕」と「鯨幕」とは赤と白の幕は「紅白幕」。

赤色は縁起のいい色であるため、おめでたい時に使われている。

黒と白の幕は背中が黒、お腹が白の鯨の見た目に似ていることから「鯨幕」と呼ばれている。

黒は喪服に使われるように死や不幸を想像させる色であることから、黒白の幕は弔事に使われる。

〇なぜ「赤」1色、「黒」1色ではなく白との2色のしま模様の幕を使う?!

「浅葱幕(あさぎまく)」という平安時代に生まれた青より少し薄い色をした幕がもとになっているから。

「浅葱幕」はもともと、お正月などのお祝い事やお葬式などの弔事といったさまざまな行事に使われていた。

〇「浅葱幕」の誕生

平安時代に京都では建物を建てるときに神主を呼んで安全を祈願する地鎮祭が行われるようになった。

その場所は神様を呼ぶ神聖な所ということで、幕を張るようにした。

せっかく幕を張るなら神様にわかりやすいように色を付けようとなったが、当時の一般的な染物は「藍色」で、「タデ藍」と呼ばれる植物から作った染色液に布をつけて天日干しするという作業を10回ほど行わなくてはならないため、およそ1週間かかった。

地鎮祭を行う場所を覆う大きな幕を全て染めるのはとても時間がかかるため、1回だけ染めることにした。そして染まった色が、藍色よりも薄い「浅葱色」だった。

〇なぜしま模様になった?!

当時作られる布の大きさは決まっていて、きものの帯などに使用されるため幅はおよそ36cm、長さおよそ160cmの長方形だった。

地鎮祭の場所を覆う場所にはその大きさの布をつなぎ合わせて大きな幕を作ろうとしたが、染色した布が大量に必要になるため、浅葱色の布と白の布を交互に縫い合わせることにして、しま模様の「浅葱幕」が誕生した。

〇「紅白幕」と「鯨幕」の誕生

その後染色技術が発達し、さまざまな色が作られた。江戸時代以降、人々は色に意味を付けるようになり、お祝い事には縁起のいい「赤」を使った「赤と白のしま模様の幕」、お葬式の時は死を連想させる「黒」を使った「黒と白のしま模様の幕」が誕生した。

コメント