嘗て我が家もサボテン経営していました!
2019年10月20日 暮らし
我が家の母屋は築80年もなりますが・・・
あの1959 年(昭和34年)9月26日、伊勢湾台風で、当時の母屋は現在ようにトタンで筋交いもなく、ただ土壁でした。
もう!雨戸を一家6人で押さえても、強風には耐え切れずに、全面に雨戸開放して風を通したそうです。
柱が北向きに傾き、土壁もボロボロ有様でした。
修繕費は一時は農協で借金となった。
感じな果樹園は壊滅で、リンゴの木があっても、根が切れて駄目だったそうです。
その後、果樹園しながら1961年(昭和36年)伊藤サボテンの下請けで、サボテン(第2産業=苗を育てる)を初める。
得意先は長野県、静岡県へ自動車三輪で配送する。
その後、1964年(昭和39年)自動車四輪軽トラックへ替えた年、お父さんは、お母さんと結婚。
しかしながら1970年(昭和45年)生活にゆとりがなく廃業となった。
お詫び!昨日の高見堂農園は全て廃業なく、リンゴ狩りだけを止めて、現在も果樹園運営しています。
あの1959 年(昭和34年)9月26日、伊勢湾台風で、当時の母屋は現在ようにトタンで筋交いもなく、ただ土壁でした。
もう!雨戸を一家6人で押さえても、強風には耐え切れずに、全面に雨戸開放して風を通したそうです。
柱が北向きに傾き、土壁もボロボロ有様でした。
修繕費は一時は農協で借金となった。
感じな果樹園は壊滅で、リンゴの木があっても、根が切れて駄目だったそうです。
その後、果樹園しながら1961年(昭和36年)伊藤サボテンの下請けで、サボテン(第2産業=苗を育てる)を初める。
得意先は長野県、静岡県へ自動車三輪で配送する。
その後、1964年(昭和39年)自動車四輪軽トラックへ替えた年、お父さんは、お母さんと結婚。
しかしながら1970年(昭和45年)生活にゆとりがなく廃業となった。
お詫び!昨日の高見堂農園は全て廃業なく、リンゴ狩りだけを止めて、現在も果樹園運営しています。
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